シンプルデザインとアート本を読むよりは画廊へ映画館へ行くよりは空港へ。生と死に関するささやかな思考。 | ||
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掘り出しものを探しに再び新星堂に、 今日が閉店SALE最終日だ! ゴダールの「アワーミュージック」豪華キャプション付き Velvet Underground シェスタコービッチ Cardigans をGetした! 「アート・スコープ 2007/2008」展を見てきた帰りだった。 小雨が気持ち良かった。
この映画のサウンドトラックを買ってみた。 ガブリエル・ヤーレ。クラシック音楽のようでなかなか心地よい。 と思っていたら聴いていたのはituneに入っていたバッハで ベティ・ブルーはやはりフランス映画らしい甘ったるい感じだ。 嫌いではない。
2日酔いの上に渋谷のcafeでワインを呑んだせいか、 居心地が良いソファに抱かれて、 気が付くとエンドロールが流れていた。。 憶えているのは主人公の女性が 冬の枯れたプールの底で自らの内面と葛藤しているシーンだ。 性的な描写であったがいやらしさは感じなかった。 詩的でソフィストケートされていて、 水々しい映像ー水の枯渇により水のイメージを喚起させる と思った。 中国の作家の映画を見たのはたぶん初めてだが、 最近のNEWSが伝えているネガティブな印象を一掃できる作品であるかも知れない。 ■関連リンク ・公式サイト「天安門、恋人たち」 ・Gyao動画視聴
Blankey Jet Cityの「SALINGER」という曲は好きだ。 生きてる時も死んでる時もいつもそんなに変わらないことだとしら、baby!
彼女はなぜあんなにも軽やかに空に飛び立てるのだろうか。 自転車で羽田まで行くには天空橋駅(旧羽田空港口駅)で乗り換える必要がある。 京急線の天空橋駅は「空の玄関」をイメージして作られたそうだが、 休日だというのに利用客が少なかった。 地下1階の通路の静謐さはどこか死を連想させもする。 「空の玄関」を「天国への玄関」と読み替えてしまうのは残酷すぎる話か。 それでも私にはこの生と死が入り混じったような不思議な空間はなぜか心地良かった。 ![]() 羽田空港第2ターミナルビルに着くと千住博の青い牛が涼しげに出迎えてくれる。
展覧会のタイトルは「LET'S GET LOST 私は何かの間違いで詩集を造ったりはしない」 「LET'S GET LOST」は日本語で「ここから出て行こう」 チェット・ベイカーの代表作のタイトルでもあるそうです。 チェット・ベイカー「Let's Get Lost」 展覧会に行こうかどうか迷っていますが、 松本圭二公式サイトに案内がまだ出ていないようなので記事をアップしておきます。 8月25日(土)には講演会もあるようです。 松本圭二公式サイト tibikuro65 松本圭二展では萩原朔太郎受賞作『アストロノート』の全ての詩作品の解説と、 現在絶版となって購入できない第一詩集から第三詩集までの全詩作品(ロング・リリイフ、「詩集 THE POEMS」、詩篇アマータイム)を読むことが出来るとのこと。 私もアストロノートしか読んだないので興味があるところです。 詩篇アマータイムについては復刊ドットコムで復刊リクエスト投票することも出来ます。 投票はこちらから 展覧会のポスターにはアストロノートから以下の文章が引用されています。 長い長い眠りだった。そこで夢見られていたものはこうだ。 「私は死んで、一冊の完璧な書物に生まれ変わる。」 ■関連イベント 第86回前橋文学館アートステージ 松本圭二講演「さらばスナフキン」 日時/8月25日(土)14:00〜 3階ホール 定員/80人(入場無料) ※要整理券(電話申込みも可)/8月1日(水)受付開始 松本圭二展に関する詳細は前橋文学館HPへ 前橋文学館は萩原朔太郎の声が聴くことも出来る貴重な場所でもあります。 アストロノートの感想 著者本人はビデオデッキにつっこみたくなるような詩集をイメージして作ったと言っています。面白い表現ですね。 私にとっては「夏休みの読書感想文」に選びたくなるような一冊です。 松本圭二さんの詩は読む度に新しい発見があります。 推理小説だったり映画だったり詩だったり。 生きている人間にはいろいろある。 ■松本圭二 関連記事/サイト 松本圭二/詩人の生きる道 (Web上でしか読めない貴重なエセー) 重力「アストロノート」立ち読み 読売新聞 表現者の現場
キングス&クイーン SEEBOX キングス&クイーン公式サイト 渋谷シアター・イメージフォーラム アルノー・デプレシャンの映画は人生に関する個人的な知恵を教えてくれる。 エリアスとイスマエルの関係が私とデプレシャンの関係に似ていると思った。 エリアスはコンピュータ用語では「別名」を意味する。 アルチュール・ランボー「私は一人の他者である」がすぐさま想起される。 イスマエル、ノラ、ジャン・ジャック。 中国女。 そして僕は恋をする 二十歳の死 魂を救え! エスター・カーン〜めざめの時
に行って来ましたが、「運命のつくりかた」 では若干コメディ色がチケット完売で見れませんでしたが、「運命のつくりかた」 は一回限りの上演でした そんなもんかな と、らさらが考えてるみたい♪ *このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「あおい」が書きました。
日 時 2003年1月24日(金)〜2月5日(水) 開場時間:12:00〜20:00(最終日は18:00まで) 休館日:会期中無休 場 所 ROCKET 東京都港区北青山3-7-9 料 金 無料 交 通 東京メトロ表参道駅B2出口より徒歩2分
学生の時に一度行ったのですが休館日でした。 時間があればまた訪れてみたいものです。 以下、福岡市美術館より。 永遠に女性的なる現代美術 [READ MORE...]
冬はやっぱ鍋ですね。 ![]() 石巻鮮魚直送便お試しセット・送料無料 【海の幸を喰らう】 送料込み1500円でいっぱい入ってました。
![]() seed-end of silence 何かの種子でしょうか? 10/ 6(木)- 16(日)遊工房 10/19(水)- 29(土)ギャラリー・イン・ザ・ブルー 10/22(土)17:00〜 PARTY
アミューズソフトエンタテインメント 発売日:2000/05/05 おすすめ度: 31,650 位 見る人を厳しくえらぶ映画かと・・・ 無題 うっとうしくなるくらいにheavy価格:¥ 5,040 [2005.09.25 powered by Amache] レオス・カラックスはあるインタビューの中で、 「ブラン・ヴァン・ヴェルデとニコラ・ド・スタールに影響された」 と語っている。 19世紀後半〜20世紀初頭。 世界大戦を背景として芸術の世界ではひたすら深みを追うことに価値を見出す時代があったと思う。 なにはともあれカラックスはそのような精神を体現した稀有な才能の持ち主だと思う。
![]() 宮城県のある画廊での展示会の写真です。 掲載することに支障がある場合はご連絡下さい。 宮森敬子さんは今どんな活動をされているんでしょう? 学生時代、日経アートという雑誌に掲載されていた記事を読んですっかりファンになってしまった私はその記事を切り取りスクラップブックに入れお守りのように大事にしていました。 VOCA展'97 「現代美術の展望−新しい平面の作家たち」 1996年 2月10日〜3月31日 水戸芸術館 現代性の条件 季刊和紙14号 和紙による現代美術12 2005/06/30(Thu) スタジオコンド貸します フィラデルフィアにいるの? と思ったらオフィシャルサイトが出来ていた。 やはりクオリティが高い。 近年の作品はコンセプチュアルな流れを汲んでいて興味深い。 個人的にはオノヨーコ以来の才能ーあるいはそれ以上だと思っている。 オノヨーコの作品はどこか完璧すぎて例えばGrapefruitの余白に書き込みをすることは躊躇われるが、 宮森敬子においてはその逆で個人的な解釈や思考や思い出やらを作品とくっつけて見ることができる、と思う。(実際に私は上の雑誌のスクラップで「癒さない絵画」という見出しを修正ペンで塗りつぶしてしまった。癒す癒されるということは個人の自由だと思うし、「癒し系」という当時流行っていた流行語へのアンチテーゼでしかないし否定することで逆に巻き添えを喰らうことになるかもしれないしと思ったからだ。現代美術の流行は10年単位で変化するというのが通説だが、彼女の作品はそういった視点では捉えられないと思う。)青山真治の映画で時折挿入される「開かれた空間」や アンドレ・デュブーシェの詩集を始めて開いた時の感動がそこにはあると思う。そしてその作品のメッセージは美術というメディアの性格上もあるが、より継続的なものになっていると思う。 ところで、この作家のプロフィールの画像(here and there)は驚くべくことに私の実家で飼っている猫の写真(写真は母が撮った。)の構図と似ていることに最近気付いた。以外なところで親近感を感じてしまった。こんなことを書いたら怒られてしまうかも知れない・・・。 現在進行中のプロジェクト「繋ぐ壁(WALL FOR CONNECTION)」に私も参加して見ることにした。私の送付物に対して数日後、小さなエアレターがフィラデルフィアから届いた。都市の瓦礫以外の何物でもないような"壁"がプラスチックケースに収められれていて後ろにはサインが記されてあった。
私の猫が興味深そうにこの壁を見ていた。 にゃんだこれは、にゃんだこれは! これは食べ物じゃないよ! このプロジェクトの写真を初めて見た時私は、数年前に横浜美術館で見たデュシャンの大ガラス(レプリカ)を連想したが、彼女がデュシャンを参照していたとしてもそれはよりポジティブな視点(デュシャンはよりコマーシャルなメディアにおいては男性主義的な視点で見られることが多いが必ずしもそうではないと思った)でデュシャンを捉えているのかも知れないと思った。 デュシャンを想起したのは唐突なことではあったがそこには以下のような理由がある。この作品のコンセプト、プロセス、政治性は簡素で明瞭だ。それはオノヨーコが発するメッセージに現代性と深みと複雑さを付与しているといえるかもしれない。その作品の簡素さゆえにオリジナリティを最初から放棄しているようでもあり、そのことが見るものを少し心配させるかもしれない。コンセプチャルアートの歴史は境界線に関する思考の蓄積であり、この壁は現代美術という表現のぎりぎりのところに立っているのかもしれない。 大阪の国立国際美術館(太陽の像があり辰野登恵子の初期の作品を所蔵している)で2000年前後に海外の作家の展覧会をたまたま見る機会があったのだが(作家の名前は忘れた)、その一室には子供達(おそらくは日本の)のドローイングがひたすら飾ってあるだけでその一枚一枚は現代美術作家の技量を超えるほど生き生きとしていた。 日本の駅や公園の壁に子供が描いた絵を見掛けることはあるが偏差値教育の煽り(大人達の視点)を受けているような印象を感じてやや躊躇するところがあったがその展示の風景はおそらくはそういった日本の美術教育に根ざしている自然悪を示唆(あるいは除外)しているようでもあった。宮森のこの作品「繋ぐ壁プロジェクト」もそういった教育者としての視点が織り込まれているようにも思えるがこのプロジェクトの全体像を把握するにはもう少し時間が掛かるのかも知れない。 Webで注文していたカタログが届いた。 ![]() 渡米以前の作品も多く掲載されていてFANとしては嬉しい。この本を鞄の中に入れて連れ出して電車の中やカフェで少しずつ読んでいるが美術館や画廊に行って得られる脳内的な刺激はこの本を読むことでほとんどこと足りてしまうのではないだろうかと思うほどだ。
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